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■牽牛山善光寺の霊牛の由来

  聖牛「牛王麿」の因縁の不可思議

明治32年2月6日、屠殺場に引かれて行く1頭の牛が、手綱を振り切り善光寺に逃げ込み、本尊如来様の前に膝まずき命を乞うて涙ながらに哀願。
その姿に住職は深く哀れみ、この牛を買い取り境内別堂に住まわせました。数多くの参詣者の慈悲のもとお菓子等を与えれば、幾度も頭を下げて会釈する姿は実に愛くるしかったそうです。
又、牛舎建立の寄進の為、樺太や小樽へ続いて長野の善光寺へ参拝し、大勧進大僧正に「牛王麿」の名を戴き、ついで大本願院尼公上人からは「牛王麿」の背がけ衣装を賜る等、数々の待遇を受けました。
以来18年の甲、霊牛入山により、善光寺が幾度も大火に会い苦しい中も再興の事業を助け、今もってその力は大なるものがあります。
「牛王麿」は如来奉仕の身を全うし、その最後は上人の念仏の声に送られて眠るがごとく大往生致しました。
よって「牛王麿」の入山により当山は「牛の善光寺」と呼ばれる様になりました。

ph_03.jpg※牽牛山善光寺聖牛の由来

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2017年2月6日(月)
霊牛記念法要が行われました「第119回霊牛入山記念法要」が6日(月)、午前11時から同寺で行われました。檀家をはじめ一般参加者ら多数が参列し、厳かに法要が執り行われました。また、長野県の善光寺から来函したお坊様による貴重なご法話もありました。
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第119回霊牛入山記念法要の模様_1

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第119回霊牛入山記念法要の模様_2

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長野県・善光寺のお坊様による御法話

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牽牛山 善光寺の住職による御挨拶

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● 函館案内漫画鳥瞰図 Hakodadigital 2011

青函貨車航送記念共進会(大正14年8月開催)の際に印刷・発行された大判の絵図。大正末期の函館の賑わいを漫画で詳しく伝えるものとして貴重な作品。貨車航送が開始された桟橋は「わが国の運輸史上に一大光彩を放つ」と記され、蓬莱町(現宝来町)の夜店(五十の市)、函館駅前の勝田旅館、大門の巴座など、昭和9年の大火で失われた多くの建物が見える。立待岬は「若き男女投身多く」、柏野の競馬場では「馬券飛ぶように売れ小成金沢山」などと当時の世相を映す表現も多数あり興味深い。

画:大沢観文、編:高橋源八、大正14年(1925年)、発行:函館 大正堂、印刷:第一印刷、折図:106cm×78cm

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●宗教法人「善光寺」における檀信徒、並びに世界平和を願う地域住民の集まりでる。
●何物にもとらわれず、色々な奉仕活動をする集まりである。
●暮らし安心、暮らし良い街づくりに努める事を目的とする。
●仏教の根本である釈尊の「助け合い、善い行動をする」という教えを守る。



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『民間防衛は、住民の努めである』と先達の哲人は言い残していますが、自分たちが住んでいる地域は自分たちで守ることが大切だと思います。私たちは、“助け合って善いことをする”というお釈迦様の教えを遵守して、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従って、暮らし安心、暮らし良い街にするために、街を守る民間パトロールの集まりです。



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